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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

小説 秋の空 1 

 秋はどこなく人の心を移ろいのなかに誘う、それは心を広くしてなんでも吸収するみのだ、が、何も得ないのが人なのかも知れない…。

 秋の空 1

  老いを書く

   「麗老」

 老いと死は何人にも平等にやってくる。おいてゆく体力のおとろえを感じながらどのように綺麗に老いを生きようとするのかそれが問題である。何人もそうありたいと考えているのだが中々うまくいかないのが現実なのである。人はあるところで諦観し定めの所為にしてそれに流されようとするものだが、決してそうではなく意外と定めを自らの意志で流れている人も多いものだ。流れているひとこそ定めに従順であると言えまいか。流されると言うことは受動的で、流れると言うことは能動的なのである。お天道様の贈り物と言って作物の生育をなおざりにしているようだが流されているように思えるお百姓の方も水をやり草を抜くのである。とするならばやはりそれは意志が働いていることになり、流されているのではなく流れていると言うことにかわならないのである。行うという意志の力が働いているかどうかで分かれるようである。
 わたしは芸術家を遊び人と言うが、好き勝手なことをして生きていて人様のことなどほったらかして好き勝手にいきている、思考の中で何かを創造しながら自己満足の中で生きている得意な種族だが、思考すると言うことで流れていると思う。その人達の生き様を見ていて本当に幸せな人であると常々感じている。そのような生き方をしている人が政府から勲章を受けるというのは果たして妥当なことで満足いく心の満ち引きがあるのだろうかと思うとき、その人の生き方、生きてきた歴史を自分で褒め称えればいいのであって勲章など貰わずに過ごすことの方がいかに重要なのかと問いただすべきなのであろうと思う。まして「林住期」を生きている人ならばなおさらお断りをすべきことではないかと思うのである。思いを決めて生きている人が世間の悪戯や思いつきなどで心や行いを左右されることはさらさらないと言うことなのだ。俗世間に生き俗世間をいきている、そのことを忘却の彼方に押しやって自分自身の世間に生きなければ「林住期」を生きているとは言えまい。何もわたしの考えを押しつけようと言うのではないが、人それぞれであるからそれはご自由になさるといい。だが、それは麗老を生きると言うことでは否と考える。名をなし財をなし、それでも名誉が欲しいと言うことは人の傲慢ではないかと思うのである。そのような物は土に還ってからでもいいのではないかと思うのである。その時には個人の意志や思惑など忖度できないからなのである。人は名誉や財産が欲しくて生きているのではない。五木寛之氏の言葉を借りれば生きるために生きているのである。まして生活の為に生きるのではない。人の総仕上げの死を満足のいく様に近づく為に生きるのである。

 とりとめのない事を書き連ねる日々、が、毎日毎日やってくる。そのためにかきなぐる。

 若い頃から今も、テレビドラマはほとんどみませんが、映画は音を消してみています。台詞は画面、表情を見て想像して頭の中に作るのです。そして人物の過去と現在を見て将来を想像するのです。人間観察をするのです。そんな訓練をしてきました。それを自分の創作に生かすのです。                                京子さんが行ったであろう苦労もわかります。人並みの努力ではだめだったことも、人より少し努力を、人よりチョット勇気を出して、人よりわずかに人との出会いが多くあって、その差は大変大きいことだったこともわかります。                             今頃漸くわかりかけてきました。人の悩みが、この歳になって今までの不養生があだとなり体が拒否反応をするときに、いろいろな悩みを持って苦しんでいるであろう沢山の人の思いが。一人の人間が一人の苦しみを解決してあげられたらどんなに世の中が明るくなるかを感じています。人から見れば些細な事でも本人にしてみれば深刻な問題なのです。若いころ感じなかったものがようやくわかりかけています。これから物を書くときに理解することから始めをうと思っています。60歳からの10年間、書かなかった結果の結論なのです。

あどけない。たくさんの夢を抱えて飛び回って幸せを運ぶ…。きっときっと元気になる。もっともっと幸せになる。考えたって駄目だよ、悩んだっていいことないよ、自分の力で立ち上がらなくては…。深呼吸をするんだ、想い悩んでいるときには…。誰かのせいにしてはだめだよ、きっと自分の心の中に原因があるんだから…。そんな時には眼をつむるんだよ、そこには君の素晴らしい明日が見えるから…。

若い頃から今も、テレビドラマはほとんどみませんが、映画は音を消してみています。台詞は画面、表情を見て想像して頭の中に作るのです。そして人物の過去と現在を見て将来を想像するのです。人間観察をするのです。そんな訓練をしてきました。それを自分の創作に生かすのです。            京子さんが行ったであろう苦労もわかります。人並みの努力ではだめだったことも、人より少し努力を、人よりチョット勇気を出して、人よりわずかに人との出会いが多くあって、その差は大変大きいことだったこともわかります。  今頃漸くわかりかけてきました。人の悩みが、この歳になって今までの不養生があだとなり体が拒否反応をするときに、いろいろな悩みを持って苦しんでいるであろう沢山の人の思いが。一人の人間が一人の苦しみを解決してあげられたらどんなに世の中が明るくなるかを感じています。人から見れば些細な事でも本人にしてみれば深刻な問題なのです。若いころ感じなかったものがようやくわかりかけています。これから物を書くときに理解することから始めをうと思っています。60歳からの10年間、書かなかった結果の結論なのです。今、そんな思いを抱いて良寛さんと貞心尼の想いを書いたのが、一人芝居「はちすの露」なのです。10年間は無駄ではなかったと思えるようなりました。初心を貫くことも「林住期」なのかもしれないと思えてきました。京子さんから温かい励ましをいただいて書く気が起こりました。うなぎを怖がらず食べて元気を出して…。ありがとうございました。お元気で、つつがなき日々を…。

     今あるのは・・・。

 六十歳になって何もかも棄てた。劇作家も、演出家も、そして劇団も棄てたのだ。生きてきた縁を棄てることで何か変わると思っていた。何も書かなくなり、演劇を見ることもなく過ごした。何かをしょうと思い立っても何も出来なかった。ただ一日一日が怒濤のように過ぎただけであった。思い返してもこの十年間何をどうしたのか思い出せない。怒濤のようにと書いたが徒労の時間が過ぎたと言うことなのだ。読んだ本と言えば辻邦生の小説、南木佳士の小説、五木寛之の「林住期」くらいのものである。読んでいて書きたいという思いも起こらなかった。もっぱら家人の手伝いで、夕餉を作り、洗濯をし、それを干して、買い物に行くくらいだった。日課はかかりつけの耳鼻科へ毎日治療に通い、一ヶ月に一度内科医へ行き一ヶ月分の血圧の薬と胃の潰瘍が再発しないようにと言う薬を貰うことだった。
 新しく始めたと言えばパソコンである。六十二歳の春であったろう。退屈でしょうがないから何かいいおもちゃでも有りはしまいかと探していたらパソコンに出会った。何も分からないままそれを買った。ワープロを修理にやったときに部品がないから直せないと言われて何かいい物はないかと尋ねるとパソコンにワードというワープロ機能があること教えられたのも買う起因の一つになっているだろう。誰に教わることもなく、とにかく動かせというパソコンの経験者の言葉通り立ち上げてはいじくりまわした。一台目はいじりまわして元に戻らなくなって修理ばかりした。買った金額より修理代ははるかに超えた。プロバイダーに深夜電話をしていろいろと教えてもらった。まだ十分に動かせないのにはやっていたチャツトを始めた。たちまちその虜になってカラオケをやったり自作の小説の朗読もやったりしていた。一か月に一度、仲間と「朝まで生チャツト」と称してテーマを決め議論をした。その当時の最新のネタをああでもないこうでもないと話し合っていたのだ。パソコンに全くど素人の私がホームページを立ち上げて今まで書いていた創作を張り付けたのだ。今それを見てもなんと簡単で幼稚なのものかと笑ってしまう。が、その時には真剣な顔で汗を流し睡眠も忘れて取り組んでいたのだ。そのおかげでパソコンの仕組みが徐々にわかってきた。今でもパソコン用語にはとんとなじめない。パソコンはチャツトの仲間にいろいろと教えて貰い、ホームページを作成するときに学ぶより慣れろでよい勉強になった。今ではホームページ三個とブログ四個を立ち上げている。他の人のホームページにははるかに及ばないが愛する孫のようなものになっている。フェースブック、ツィッターもやっている。無論、メールもワードもエクセルもこなしている。動かしながら学ぶということがパソコンの上達の鉄則であることを認識している。映画も見られるし音楽も聞ける。今のパソコンは六台目、ディスク三台、ノート三台、初めて買ったものも直して今も動いている。



倉敷日和

 今日は寒い一日だった。そんな日に何も倉敷美観地区へ写真を撮りに行かなくてもいいものだが小説に入れるために必要だったのだ。
 家人と美観地区へ行くのは初めてだった。恋愛時代にも誰かと会うのではないかと避けていた。結婚して四十三年になるが二人で行くのは初めてであった。一眼とメモ用紙とボールペンを持って車に乗った。
 寒さのせいか森閑としていてその中に昔の佇まいがオープンセットのように見えた。観光客は少なく石畳みが広く感じられた。
 

 ただ何の意味もなく楽しんで書いている。目的のない事に不安はない、むしろ拘束も約束もない事が精神を安定させている。が、自律神経の頭痛には頭を抱える日々が続いている。これからは抱えている病気と仲良くして相談しながら生きていく二人三脚なのかも知れない。

 こんな書き彼の物でも大切に保存してその続きを書こうとしているのだ。

     

      麗 老 会話小説



「これからどうするの」
「どうするって・・・」
「会社のこと」
「そのこと、まっすぐに車をとめられなくなったから・・・」
「なにそれ」
「きっかけ、定年退職に従おうと…」
「ちょっとお手軽ではない」
「だって駐車ラインの中にとめられなくなったから・・・」
「衰えたったこと」
「そう」
「その歳でなの」
「ああ、歳は取りたくない」
「弱気ね」
「そう、弱気なの」
「会社が下請けにどうかって話も断るの」
「そう、ことわって・・・」
「これから何すんの」
「決めていない」
「退職して、来なくなるんだ」
「そんなことはないよ、魚の煮つけとぬたでいっぱいやるのはやめられない」
「あら、私にすっかり惚の字だとばっかり思っていた」
「下心てやつ・・・」
「そう」
「俺には勿体ないよ」
「味噌だらけになってぬたを作らしといて、それはないでしょう」
「いつか、男は懲り懲りだって言っていた」
「こんな商売をしている女の口癖なの」
「知らなかった」
「そろそろ、コーヒーを入れとかなくては、帰るのでしょ」
「追い出すの」
「今の話、恥ずかしくてつづけられないから・・・」
「そうなの、おれて奴は人の心なんか解らないから」
「いいのよ、ゆうちゃんらしいから、許す」
「無粋な人なのだ」
「私の周囲にはそんなおとこがいっぱい」
「そうなんだ」
「そうなの、なぜか…」
「安らぐから…」
「そんな店だった」
「あたりに気を使わずに一人で呑める」
「みんな私の笑顔で飲んでくれていると・・・」
「しんみりコップを空けていた」
「無粋な客に愛想のない女将」
「ママと言わないところがいい」
「コーヒー出そうか…」
「ありがたい」
「みんなラーメンというのに・・・」
「人それぞれという」
「退職してどうするの」
「先のことは考えていない」
「パチンコとカラオケを生きがいにしないで」
「分からない」
「優柔不断なんだから」
「今までと違った生き方がしてみたい」
「女作って子供作って・・・」
「それもいいかな」
「奥さんなくしていままでどうしていたの・・・」
「なに・・・」
「あちらのほうのこと」
「忙しかったから」
「弱いんだ」
「いや、強い…」
「強いんだ」
「がまん強い」
「もう、いや、はぐらかすばかりして」
「子供を残して逝かれ時はどうなるかと思った」
「大変だったね」
「やればできる、そのことを知った」
「よくやったね、今ではみんな独立して…」
「それが親だと思った」
「なによしんみりして、真剣な顔をして」
「思い出していた」
「ごめんね、こんな話に…」
「いいんだ」
「奥さんのこと思い出していたでしょう」
「今日のコーヒー苦い」
「次の日にはおいしいコーヒーを入れるわ」
「それにしてもお客こないね」
「雨らしいから、こんな日は有難いわ、女であることが考えられるから」
「ええっ…」
「女、紹介しょうか」
「なに、突然」
「言ってみただけ、言ってみたかったの」
「帰るよ」
「逃げるんでしょう」 
「ああ」
「その歳で女狂いはしないでよ」
「分からない、狂ってみたいという願望はある」
「若い女にいれあげて・・・」
「それもいいかなと・・・」
「冗談でしょう」
「そのときにならなくては何とも言えない」
「もう少しいたら」
「雨がやみそうだから・・・」
「それもあるわ。帰ったら一人になって女を考えてしまうから」
「ママにもそんなときがあるんだ」
「私もまだ女だから」
「いい人なの、その人」
「乗り気になったの」
「いや、言葉の遊び」
「興味があるんだ」
「なくはない」
「まだ男がなくなっていないんだ」
「一応、男だから」
「悔しい、こんなにいい女が前にいるのにくどかないのは失礼なことだとおもわない」
「紹介すると言ったのは・・・」
「それは言ったわよ、さびしそうに見えたから・・・」
「ああ、鎌をかけたんだ」
「そんな歳になっていることを今感じた」
「歳ていったの」
「言わない」
「聞こえた」
「歳をとると耳が遠くなるっていうから」
「聞きたいことが聴こえなくて、どうでもいいことが耳に入ってくる」
「私なんかいつも・・・」
「気にするんだ」
「またに」
「・・・雨やんだかな」
「話変えたいんだ」
「濡れながらもいいかなと」
「そんな時、ある」
「雨の中を一人の年寄りが孤独をしょって歩く・・・」
「絵にならない」
「やはり」
「悲壮感がにじみ出ているようで」
「みんなそれを背負っている」
「私は背負っていない」
「背負いたくないという願望…」
「かも・・・」
「なんだかさみしくなった」
「やめよう」
「その人って歳は・・・」
「なによ・・・気になるんだ」
「聞いてみただけ」
「言わない、忘れて」
「なにを、歳のこと」
「いいえ、彼女のこと」
「・・・」
「期待してた」
「わからない、言葉が見つからない」
「まだ、男なんだ」
「そんな風に見えない」
「見える時も、ある」
「思い出して様に男を思い出す」
「私も・・・。そんなときどうするの」
「それ聞くの」
「おんなだから・・・」
「今日のような雨の日にぬれながら考える」
「侘しいね」
「ほんと」
「男やもめにうじがわく」

 
昔のような集中力がない、途中でほうり投げるのか…。

麗 老(れいろう)




車を駐車場にきちんと止めたと思ったが左に切りすぎていた。そんな事が最近増えていた。
このあたりで定年か・・・。そのことで逢沢雄吉は心を決めた。相談する人はいなかった。妻は二人の子供を残してあっさりとなくなっていた。子供たちを育てるのはたいへんだったが、二人の子供たちは年頃を迎え相手をどこからかみつけて巣立っていた。
家のローンは完済していたから退職金と年金で食べていけることに心を撫で下ろしたが、一人の家での生活がどうなるのか不安はあった。息子達が家を出て行った時は寂しさを持ったがそれは一時のことで、南向きの和室に万年床を敷いて過ごしたのだった。休みの日にはカーテンを引きサッシを開ければ日差しは布団を乾かしてくれ、きれいな空気を満たしてくれた。そのことに雄吉は満足していた。
まだ幼かった子供たちを残されたとき、どうなることかと案じたがどうにか育てることが出来た。やれば出来る物だと言うことをそのとき知った。
雄吉は定年に対してあれこれ考えてはいなかった。下請けに行く事も出来るといわれていた。が、前のように車を正確に駐車できないことで区切りをつけたのだった。それと年ごとに寒さに対して体が適応しなくなったこともあった。今年まで下着はランニングシャツで年中過ごしていたのだがTシャツになり長袖に変わり、下着を二枚着なくては過ごせなくなっていた。
五十歳から体は少しずつ後退し障害を表す、老いの老化による異変が現れるということだ。

「下車するの」
「車が真っ直ぐ駐車できなくなったから、降ります」
「それなによ」
「切っ掛け」
「そうなんだ」
「そう」
「これから国家公務員になるんだ、年金貰って」
「羨ましいわ」
「手足もぎ取られるようで、ほんと寂しい」
「歳取らないでよ、真っ赤なスポーツカーを買って颯爽と生きてよ」
「これから考えるよ、何かを作らなくてはと思ってる」
「それでどうすんの」
「なによ」
「女作って子供作って・・・」
「そんな歳でもないよ」
「一休さんは八十で子をなしたって・・・」
「羨ましいね」
「奥さん亡くしてどうしていたの」
「忙しかった」
「もう、色気がないのだから。男は少し悪の方がもてるのよ」
「いいよ、もてなくても」
「いい人紹介しょうか」
「また来るよ」
「今日も逃げるのね」
「ああ」
「まだ寒いから、暖かくしてね」
雄吉は仕事から帰ったら近くの女将ひとりでやっている小料理屋で時間をつぶすのを日課にしていた。あまり飲めないので燗を二本と旬の魚料理を食べるのであった。

六十歳の誕生日と、年度末で退職する制度があるらしいが、雄吉は年度末で退職した。
 半農半漁の村がコンビナートに呑み込まれ雄吉は漁師を辞めて自動車会社に入ったのだった。流れの速い潮にもまれたこの地方の魚は美味しいと評判がよかった。遠浅の海が広がり足下で魚が跳ねエビや貝が手で捕まえられた。そんな海は工場の下になっていた。生まれた町から少し離れたところへ家を建てそこで生活したのだった。
堤防に立つと潮風が快く吹き付けその風は春が来たことを告げていた。目の前には工場の煙突が林立し黙々と白煙を吐き出していた。背後の山肌が老いた人の頭のように所々白くなっていた。山桜が蕾を開き染めているのであった。
定年退職を祝って息子たちが席を設けてくれた。
「どうするの、これから」
言葉といえばそれにつきた。
「まだまだ元気なのだから、下請けにでも行けばよかったのに」
「孫の守りをする歳ではないよ」
《かわいいよ。疲れるけれど》
「少しのんびりして何かをするさ」
「呆けないでよ」
「そうしたいと思うが・・・」
そんな会話が続いたが、雄吉は話しに乗れなかった。孫たちが次々と膝に乗ってきて戯れていた。
雄吉はどちらかというと寡黙だった。会社ではラインから検査を担当しそこで終わっていた。検査の技術で下請けへということがあったが、一息つきたかった。今まで養育と仕事に追われていた事夜あわただしさで心が乾いていた。それと、車の駐車の件が引っかかっていた。体力的には後五年はどうにか勤められると思うが、ここで身も心もリフレッシュしてこれからの道を快適にと考えたのだった。五十歳になってから退職後の生き方についていろいろと考え来ていた。今までの延長では何かわびしすぎはしないかと、できなかった事をやりたいと思うようになっていた。真剣に考えるというのではなく憧憬に似ていた。
サッシを開けると、日差しが波のように押し寄せた。その中を雄吉は泳いだ。
これが生きていることなのかと思った。わびしさと寂寥を心においていたので尚さらだった。

「あれからどうしている」
「気が抜けたビールのよう」
「毎日」
「泡もなくなった」
「そろそろだな」
「なによ」
「捨て頃」
「ようやく自分で立てるようになった」
「俺もそうだった」
「そう、空ばかり見てるんだ」
「あれ厭かないな。いろいろな形があって」
「雲のことなの」
「話変わるけど、車買った」
「車買ったの」
「赤いクラウン」
「そう」
「嫁さん乗せて買い物でもってかんがえなの」
「カート押してるんだ」
「義務感と満足感」
「勿体なくない」
「なによ、文句ある」
「ないけど、車のこと」
「高速飛ばせっていうわけ」
「でもないけど」
「パチンコとカラオケに行くために買ったんだもの」
「目立たない」
「寂しい心を癒してくれるから」
「そんなものなの」
「車買ってあの空虚感から解放されたもの」
「そう」
「君も買ったら、車を磨いていたら何も考えなくていいもの」
「侘びしくない」
「俺、充実してるもの」
「先のこと考えたいんだ」
「何かを期待してた」
雄吉は退職した先輩と居酒屋で話していた。何か寂しさが心に広がっていた。

麗老(れいろう)
2

雄吉は朝のニュースを見て眠るという生活をしていた。起きるのは正午、パンを一切れと牛乳とコーヒーで簡単な朝昼の食事を済ますのだ。カーテンを通して春の陽射しが六畳全体を照らし夏のような陽気を感じさせた。掛け布団を跳ねて敷き布団の上で大の字になる。じっと陽射しを体に受けながら、さて今日は何をしょうかと考えるのだ。何も予定のない時には心は海に沈んだような気分になった。
雄吉はパチンコもカラオケもしなかった。パチンコ屋の駐車場もカラオケ屋の駐車場も真新しい高級車で占められていた。そんな風景を見て、こうはなりたくないなと思うのだった。がといって何をするかをまだ決めてなかった。
雄吉はゆっくりと起き上がり、朝の支度を済ますとパンを焼きコーヒーを淹れ牛乳を温めた。
今日は町をぐるぐると走って、ドライブをすることにしたのだった。家と会社の往復で町の様子を全く知らないことに気づいたのだった。仕事をしていたときの休日は庭の掃除やら木々の剪定、壁のペンキ塗り、買い物でつぶれたのだった。郊外に大きな複合ショッピングセンターが出来たの、レジャー施設が出来たのという言葉を聞き流して生きたのだった。先輩の言うように車を買う予定もなかった。定年退職者が車を買うのはどういう事なのか理解のほかであった。そんなに見栄を張る必要はないという思いもあったが、ファミリーカーを乗っていた人たちが大きな車に乗り換えるのが流行っているらしかった。それをステイタスだと言った人がいたが・・・。今ではゴルフに行く人たちも大きな車でなくても恥をかかなくなっていた。そんな時代に大きな車を乗り回すのは退職金が入り今まで我慢してきた裏返しのように思えるのだ。パチンコ屋に乗り付け、カラオケ屋に横付けして何がステイタスかと思う心があった。
エンジンを掛けてその音に耳を澄ます、快適な響きが伝わってきた。この分なら後五年は大丈夫だと思った。ハンドルもそんなに遊びが出来ていない、クラッチも滑っていない、ガソリンの消費が少し多くなっている程度だ。雄吉は満足して車に乗り込んだ。百メートル道路を西に走った。中央の分離帯が公園になっていて桜が花びらを散らしアスファルトの上に白く敷き詰めた様に広がっていた。車の中は暑いくらいだった。窓を開けて風を入れ頬に受けた。
レジャー施設の周りを走った。子供たちが幼かったら喜ぶだろうにと思った。孫に手を引かれ嬉しそうな顔をして年寄りが入園していた。ショッピングセンターであれこれと見て周り時間を潰した。町の様変わりに驚きながら町も生きているのだという実感を持ったのだった。その町の佇まいもかっての喧騒の中のエネルギッシュさはなくただ沈み込んだ重い風が流れている感じがしていた。繁華街だった通りはシャツター通りに変わり経済の仕組みによる現象が現れていた。それは思いのある感慨を呼び覚ましてくれた。

 「ジュンちゃんかったんだって」
「かったの」
「生活変わったって」
「変わるんだ」
「変わる変わる元気になって艶々だもの」
「そう、いいな」
「飲むか、話すがどちらかなして」
「ごめん、それで何買ったの」
「でしょう、猫を飼ったの」
「真っ赤なスポーツカーだと思ってた」
「犬か猫でも飼ったら」
「それもいいね」
「貰って来てあげましょうか」
「何でも世話するんだ」
「猫は血圧や心臓にいいそうよ」
「初めて聞いた。犬は・・・」
「心臓と血圧かな・・・」
「飼ってみたいけど、どちらにしょうかと迷うよ」
「猫にしなさいよ、散歩に連れて行かなくていいから」
「決めてくれるの、犬も捨てがたいし、何か犬に悪いような気がするし・・・」
「これでは女性が嫌がるわ」
「いいよ、仕方がないだろう」
「この前の話し・・・」
「なによ」
「いい人紹介するって話・・・」
「その話は・・・なぜ今なの」
「もっと前にと言うの」
「そうでもないけど・・・」
「一人で旅行するより楽しいでしょう」
「優柔不断だから・・・」
「一度結婚に失敗してるの、生き別れだからいいでしょう」
「別に、何よ、それ・・・」
「死に別れだと、なかなか心から消えないっていうし」
「そうなんだ・・・」
「ああ、死に別れなんだ」
「いいけど、別に・・・」
「まだ愛してる」
「・・・」
「三十八なの」
「え」
「考えといてね」
最近とみに冠婚葬祭のダイレクトメールが多くなっていた。

麗老(れいろう)
3

一日がこんなに長いとは思わなかった。何もしないでボーとしていると時は過ぎないのだった。これには雄吉も困った。自由に生きると言う事がこんなに大変だとは・・・仕事を選べはよかったと思った。食べてテレビを見て眠る、そんな生活は一種の拷問だった。助かるのは、プロ野球が始まっていることだった。時間つぶしには格好だった。何処のファンということもなく見るのが好きだった。というより何処でもよくテレビの画面に何かが映っていればよかったのだ。
こんな生活をしていれば完全におかしくなると思った。妻を亡くして鬱になり苦しんだ経験があった。何か夢中になるものはないかと探した。趣味を持たない雄吉にとってそれは中々見つからなかった。とにかく、明日は庭の草取りでもしょうと思った。毎日のスケジュールを作ることにした。
野球を見ながら小腹が空いたのでお茶漬けを啜り込んだ。
「三十八歳か」
言葉がもれていた。意識してなくても何かを期待している心があるのか、寂しさ故に何かを求めたのか、女将の声が聞こえた。そう言ってくれることはいやなことではなくありがたい言葉だった。
雄吉は定めに従順に生きてきていた。ここは逆らうことなく流れよう、それが定めならと思った。
妻を亡くして、それ以来女性との関係はなかった。誘ってくれる友もいたが行くことはなかった。潔癖症ではなくただのものぐさだった。お茶飲み友達がいてもいいなと最近思うようになっていた。仕事をしているときは一人の寂しさは感じなかったが、一日何をすると言うこともなく過ごすとき心に広がる孤独感を感じるのであった。
「散髪をして、デパートに行って最近はやりの洋服を買って」
と、雄吉は考えた。生まれ変わろう、そのためにはまず身だしなみからだと 思った。生き方を変えるにはまず外見をかえれば何かが変わるかもしれな いと 思い実行することにしたのだった。

「今日はどこかへお出掛け」
「いいえ」
「何か違うわ」
「そう」
「明るくなった」
「服を変えたから」
「艶がよくなったわ」
「石鹸で顔を洗ったから」
「考えてくれた」
「なに・・・」
「この前の話」
「逢うだけなら」
「そう」
「どっちでもいい」
「悔しい」
「なぜ」
「断ると思っていたの」
「断ればいいの」
「後は上手くやって」
「なにを・・・」
「知りません」
「初めてだから・・・」
「そこまで責任は持てませんよ」
「責任て・・・」
数日後、女将は妙子を紹介したのだった。おとなしそうな女性だった。背に長い黒髪を垂らしていた。黒目がちの理知的な人だった。
雄吉は動揺することなく応接できた。こんなことがあっていいと思っていなかったから平常心で話すことが出来た。何もなくて元々だということだった。雄吉は寡黙で妙子の話を聴いているだけだった。
妙子は酒を何杯もあけこんなことは初めてだと言った。

逢った次の日、突然妙子が雄吉の家に現れた。
「一度逢っています・・・私から女将に頼みましたの」
応接間に案内した雄吉に妙子は言った。
雄吉は心を平静に保つことが出来なくなっていた。
「綺麗に片付けているのね」
と、当たりを見ながら言った。
この家に女性が来たことはなかった。雄吉は周章ててカーテンを開き窓を開けた。淀んだ空気を入れ変えたかった。
「押しかけて来て・・・そこまで来たものですから・・・」
と、妙子は言い訳をした。
麗老(れいろう)
4

妙子は前夫の暴力がたまらずに離婚したと言った。酒飲みで飲んだら暴力を振るったという。子供は欲しかったが出来なかったと言った。別れた後、父の遺産で食べてきたと言った。食べるだけの土地はあり米だけ植えているのでと言った。借家も何軒かあり毎月その収入が入ってくると言った。
「私に何も責任を感じてくれなくていいんです・・・。一人で生きていくだけの経済力はありますから」
「それでは私に何をしろと言うのですか」
「お互いを拘束しなくて、時々こうしてお茶やお話の相手をして下さればいいのです」
雄吉は何をどのように考えればいいのか戸惑っていた。
「お嫌でなかったらですけれど・・・」
「それは・・・」
「お嫌でしたら面と向かっては辛いし・・・電話ででも」
「いいえ、実を言うと女将から言われて断り切れずに・・・」
「やはり、ご迷惑だったのですね」
「そんなことはありません、今では良かったと・・・」
「嬉しいわ」
「・・・」
「こんなに話をしたの、初めてです。あなたの前ですと素直に言葉が・・・」
「私は一日中家にいてテレビを見ているだけでした」
「船をお持ちとか」
「漁船ですが」
「山に畑をお持ちとか」
「はい、猫の額くらいですが」
「田植えを手伝って下さると嬉しいのですけれど」
「はい、それくらいは」
雄吉は魔法にかかったように言いなりになっていた。それが嫌ではなかった。
「あなたの部屋が見たいわ」
雄吉は周章てた。まだ布団を敷いたままであったのだ。
「まだ・・・」
「片付けてあげます」
雄吉は案内した。
「こんなことは初めです」
妙子は衣服を脱ぎ裸になって布団に横になった。雄吉は唖然とし呆然と眺めた。油ののりきった女体がそこにあった。
雄吉は夢を見ていると心の中で叫んでいた。

「安っぽい女でしょうか」
「私も初めてです」
「お嫌になられた」
「いいんですか、こんなことになって」
「この歳になったら、もう何も失うものはありませんから。心の赴くままに生きたいと・・・」
「私に鬼になれと・・・」
「女の生活を忍従の中に閉じこめてきた社会に抵抗をしようと決めたんです・・・好きな人が出来たら私から誘おうと決めていたんです」
妙子は庭のようやく咲き始めた五月を見ながら言った。
「私で良いのですか」
「一人で飲んでおられる後ろ姿を見て・・・その哀愁に惹かれたのです」
「そんな殺し文句に弱い」
「まあ・・・」
「これから食事でも」
雄吉は話を変え不器用に誘った。
瀬戸大橋の見える海岸線を走った。穏やかな海が広がっていた。雄吉はそこを走って山間のレストランへの道を走っていた。山肌にはツツジが咲こうとしている時期であった。
「なんだかこうなるように定められていたみたいです」
妙子は運転している雄吉の肩に頬を寄せて言った。雄吉も何年も連れ添った人のように感じていた。妙子をいじらしく眺めた。
雄吉は二十数年ぶりに男を感じさわやかな気分の中にいた。沸々と蘇る気力を感じ目の前が開かれたように思った。
谷間の小川をまたぐように山小屋風の建物が造られていた。
潺の音が床を通して聞こえて、鳥の囀りが静寂を破っていた。
「ここは奥さんと来たところですか」
妙子は口元に運びながら言った。
「いいえ、忍びの男女がよく来るそうです」
「いい処ですね。こんな処を知っておられるなんて隅に置けないです」
「初めてです」
「嬉しい」
「私たち、どのように映っているのでしょう」
「さあ・・・」
「人目を忍んで・・・。美味しい・・・」
「お時間は・・・」
「誰も待っている人はいない」
「そうですね」
山に夕闇が迫っていた。風が出たのか木立がざわめいていた。

麗老(れいろう)
5

妙子は昼間に雄吉の家に現れるようになった。
「草餅が美味しそうだから買ってきた」
「アイスクリームが食べたいから・・・」
妙子は土産をいつも買って来た。夕餉を作り一緒に食べることもあり、寿司やラーメンを食べに行くこともあった。
妙子が来る様になって部屋は綺麗になっていた。大人しそうに見えるが、よく笑い良く喋った。雄吉はその明るさに救われた。じめじめしとした性格だったら付き合って行けなかっただろう。リードするのは妙子だった。
「苗床を手伝って欲しいの」
「いいよ」
「去年は一人でやった」
「疲れたね」
「ほっといたから収穫はあまりなかった」
「でも、食べられるだけあったんだろう」
「十分に」
「稲は作ったことがないから・・・」
「ここを引き払って私の所に来たら」
妙子は突然に言った。
「ここに出入りしていると奥さんに焼き餅を焼かれるわ」
「そんなことを気にしていたの」
「するは・・・」

雄吉はこれも定めかという風に従うことにしたのだった。家は長男に譲ることにした。
「親父大丈夫なの」
「騙されてない」
「歳が離れすぎていない」
「捨てられて、泣くんじゃない」
「はっきりとした方がいいよ、俺たちはどちらも賛成だから」
「家は貰っておく」
「弟には山をやって」
長男はさばさばと言い放ったのだった。

「何もなくなった」
と、妙子に言った。
「私だけの人になった」
妙子は笑った。
籾を蒔いて黒いビニールで覆いをした。
「さてと、夕食を奢らなくては・・・行きましょう」
妙子がハンドルをとった。山間のレストランで食事をした。帰りに車は池の側にあるモーテルに吸いこまれて行った。
「いいでしょう」
「ああ」

雄吉は夢のような生活だと思った。人生に流されることも流れることもそれが定めなら甘んじて受けようという気持ちが沸いてきていた。今までは受け身の生活をしていたのだ、それは拘束と約束の中で生きていたと言うことだ。それに理性が・・・。少し考えを変え、少し道を違えば新しい生活が待っていたというのか・・・。変わらぬ日々のなか子供たちを育て仕事一筋の人生に何があったというのか・・・。それはそれなりに充実したものであったが。
雄吉は目の前が開け今の幸せを噛みしめていた。
妙子の家には簡素な山水の庭があって池に鯉が泳いでいた。
「籾の芽が出た」
「暖かい日が続いているから」
妙子はそう言って雄吉の側に座って庭石を眺めた。妙子の肌はしっとりとし前よりまして女らしくなっていた。
「こうしているとまるで夫婦みたい」
「ご近所から何か言われないかい」
「言われたっていい」
「勇気があるね」
「もう、人の眼を気にして生きる事は辞めた」
「だけど・・・」
「さんざん言われた、男を引き込んでいるって・・・」
「平気なの」
「誰にも迷惑を掛けていないもの」
「私のような年寄りでは・・・」
「言わないで、私があなたを好きだと言うことだけでいい」
「これからどうすれば・・・」
「田植えを手伝って欲しい」
「手伝うよ」
「愛してくれなくていい・・・愛させて・・・」
「こんな気持ち何十年ぶりだろう」
「心臓に良くない」
「落としていたものを見つけた気分だよ」
「落としていたの」
「ああ、探さなかった」
「探せば良かったのに」
「足下に落ちていたのに見つけようとしなかった」
「私は探した、探す場所を間違えてた」
「君に見つけて貰った」
「今度は見つけてよ、迷子になったら・・・」
「いいよ、必ず見つけるよ」
雄吉は妙子の肩を抱いた。
前向きに歩き続けなくてはならない、これから妙子探しの旅が始まるのだと思った。

田植えも無事に済んだ。雨の長く続く気節だった。
雄吉は幸せに包まれながら鹿脅しの音を聞き雨の庭を見詰めていた。今まで何とも思わなかった風景が約束されたもののように思えた。眼の前にあるものの総ては雄吉のために誰かが作り施してくれているような感覚に陥っていた。生活の一瞬一瞬が前もって誰かの手で準備されているのだという錯覚を持つのだった。自分と同じ現在を生きている人があることを不思議に思った。
雄吉と妙子は引き合う磁石だった。

麗老(れいろう)
5

「昨日は落ちた」
「落としたの、私が・・・」
「青空を泳ぎ柔らかな草原へ・・・」
「奈落の底がこんなにいいものだとは・・・」
「ストンと舞台から消えて・・・こんな事初めて・・・」
「忘れていたものだったよ」
「生きていて良かった」
「そうだね」
「何度か死のう思った」
「そんなことあったの」
「弱かった、躓いたことを後悔した」
「・・・」
「父と二人の生活に耐えられなかった」」
「・・・」
「認知症の父と・・・壮絶な戦いだった」
「・・・」」
「それもあなたへの道のりだった」
「・・・」
「ご免なさい・・・今が幸せだから言えた」
雄吉はじっと妙子の言葉を聞いていた。
妙子は時として感傷的になった。そんな妙子をいじらしいと雄吉は思った。日々の生活の中で新しい妙子を発見することに新鮮さを感じていた。
「愛したことがない。愛されたことがなかった」
「心の中に君が広がっているよ」
「いいの」
「いいよ」
「こんないいことあった。あなたを愛して・・・」
雄吉は歳のことを忘れていた。若かった頃のひたむきに生きた情熱が返ってきたような思いがしていた。寡黙で朴訥な雄吉を詩人にさせていた。

妙子のお腹は少しずつ大きくなっていた。悪阻もそんなに酷くなく変わらぬ生活が出来ていた。
雄吉は時たま田んぼに出て水の張り具合を見て歩いた。
「除草剤を撒いてくれた」
「いいや」
「あんたらしい」
「自然農法がいい」
「作るより買った方が安いし」
「どうなの」
「なに」
「調子」
「大丈夫」
「暑くなるから大変」
「あなたは・・・」
「この家は涼しいから・・・」
「私本当に母になるんだ」
妙子は穏やかな顔になっていた。自信が現れているように思えた。女は母になることで初めて完成する。せり出したお腹を突き出して歩く姿にそれは見えた。そんな妙子に愛おしさが増す雄吉だった。
「なに」
「女らしくなった」
「だって、女だもの」
「まだ夢を見ているようだ」
「幸せだわ」
「そう」
「残念ね、私のこの気持ちがわからなくて・・・」
「女でないから・・・」
「濡れた」
「えっ」
「女の幸せ」
妙子は勇吉の手を取っておなかに持って行った。
「ここにあなたがいる・・・誰でもいいと思っていたけどあなたで良かった」
「本当に・・・」
「ええ、あなたじゃなくては嫌」
お腹が熱くなっていた。そこは新しい命が息づいている様に思えた。

麗老(れいろう)
6

妙子はマタイニードレスが似合っていた。本家普請の家は風の通りが良く涼しかった。雄吉は田圃の水を見に行き水がなければポンプを回すと言う以外に外に出ることはなかった。庭に藤棚を作り、畑に花を咲かせるくらいだった。
家にいて妙子の立ち振る舞う姿を見ているだけで仕合わせだった。妙子も外に出ようは言わなかった。出るのは食品の買い出しくらいで、嬉しそうにお腹をせり出して歩いた。子供を
宿す女の自信が美しくしているのか妙子はその様に見えた。買い物の時でも妙子は雄吉にきちんとした服装をしろと喧しかった。外見を保つことが自信を生み出し一つ一つの仕草を優雅にすると言うのであった。見られているのだから見せることを演出しろと言うのであった。確かに普段着とは違って緊張感が生まれた。引きずる歩き方は出来なく足を上げなくてはならなかった。家の中にいるときでもLEEのジーパンをはかされた。食べ物にも気をつける様にと、六十代だから腹六分目を強制した。バランスが大切だと野菜料理を何種類か食卓にのせた。

「パパになるのだからね」
「何も言ってないよ」
「長持ちして貰わないと」
「長持ちね・・・・」
「平凡だけど、生まれた子を抱いてあなたと宮参り・・・ 」
「そんな夢があったの」
「お宮さんの前を通るたび思った」
妙子の瞳が滲んでいた。そんな妙子を見るのは初めてであった。
男の様な言葉を使い割り切ったようなことを言っているが女の優しさと感情は持っているのだと雄吉は思った。一つの命がそうさせたのかそれは分からなかったが・・・。
「来年の春にはできるよ」
「待ちどうしい」
「待ちどうしいね」
雄吉は先のことを考えないようにしていた。今を精一杯に生きる事にしていた。これから何がおきるか分からない、その定めを流れようと思っていた。
ガラス戸を通して差し込んだ陽射しが畳の上で日だまりを作り遊んでいた。夏の陽射しが和らぎ夕焼けの中を赤トンボが舞う秋が向かえに来ている頃だった。

麗老(れいろう)
7


人は還暦を過ぎてから死の準備をするのなら後の二十年を綺麗に生きようと考えるだろう。肉体の死があっても魂は存在し、その魂をつれて中有の旅へ出るのならば魂を綺麗にするのがその二十年か・・・。雄吉は死を考えないがこの後の生き方を何か今までと変わった生き方にしょうと考えるのだ。自堕落な生き方は辞めて体を清潔にし身繕いを正してと思うのだ。そのように生きるという指針があって他に何かが起こるとしたらそれを従順に受け止めなくてはならないと思った。仏門へはいることを考えたがそれだけの勇気はなかった。
托鉢の僧になけなしの金を差し出しお腹が空いたら食べてくださいと言うこと、遍路の人たちに宿を貸す人たち、その総ては魂を清浄にする行為なのであった。そんな生き方に憧れることもあった。若い頃はなぜという疑問があったが今にしてそれを理解出来るのであった。
庭や家の中の掃除から取り掛かった。それは死の準備でなく定めをながれるためだった。
雄吉は身の回りをこざっぱりさせた。何かが壊れ新しい自分が表れた様だった。自由を生きると言うことは難しいがそれを生きると決意した。自由に生きるためには自制心が必要であることを知った。雄吉はお日様と一緒に暮らすことを自分に課した。それが定めだという風に受けとめた。
この数日雄吉は憑かれように自己変革を行った。悟りを開くというのではなく煩悩の中で定めを生きようとしたのだ。綺麗に生き素直に歩こうとしたのだった。それは老いの知恵だったのかも知れない。好奇も探求も追求するのではなく流れの中で解決しようとするものだった。好奇心も探求心も若かった頃と比べ薄れていくのが魂の浄化であった。
日が落ちてその静寂の中に心の安らぎを知った。雨の音に命の鼓動を知った。風のざわめきに慈しみを知った。自然の中に人間の心があることを知ったのだった。綺麗に老いると言うことは自然のままに暮らすことだったのだ。雄吉は明日来る夕焼けに胸を張った。
定年まで定めに流され、その後の人生はおもいどおりに流れようといういきかたが老いを生きると言うことではないかと思い始めた雄吉はすべてに解放されたように羽ばたこうとしていた。
やがて雄吉は妙子と子供をおいて姿を消すことになるのだが、それも老いた者の生き方の様に思えた。旅立ちであったのだ。現状に満足することができなくなった精神の次なる行為であったのだろう。現状のままでいいという思いより別次元の生き方を求める多感な心が頭をもたげてきたのだ。
雄吉にとってそれが妙子だからできることなのかもしれなかった。妙子との一年間の生活の中で拘束も約束もなく生きて互いが理解し相手の心情まで凌駕した精神が生まれていて認めあったということであった。

子供が生まれるまでの何カ月かで雄吉はさまざまな考えを繰り替えしその行為を行ったのは確かであった。

釈迦が、西行がたどった道を雄吉も歩きたかったということなのかも知れない。
   それは雄吉にとって精神の苦悩を生きる旅立ちであった。自分の生死を見つめ生きるために働くのではなく、生きるために奉仕する自我への挑戦だった。
そのような考えが生まれたのは妙子が自信に満ちた動作でお腹をせり出して歩く姿に己の姿を小さく感じたのかもしれない。男として到底越えられないと思い至ったのかも知れない。

   「いいかい」
   「ご勝手に…」
   「すまない」
   「いいえ、おたがいさまよ」
   「そうなんだ」
   「私を一人にしないで宝物をおいてってくれるんだから・・・」
   「ありがたいね」
   「もう、湿っぽい。歳とって一人で生きる勇気のある人の命を引き継ぐのだもの・・・」
   「湿っぽい・・・」
   「明日になったらわらう」
   「いいね、それ・・・」

終わり

麗 老 (決定稿)

車をきちんと駐車場に止めることが出来なくなって定年退職をしょうと思った。あと二三年は会社に残ってくれと言われていたが何度も駐車がうまくいかなくなって心に決めたのだった。誕生日か年度末かと言うことになるのだがきりがいい年度末で退職することに決めた。
「心に穴の開いたような日々が続くのだ。下請けに行くか、残って頑張るか考えた方がいい」
油けのなくなった顔で先輩は言った。まるで生気がなくなっていて一辺に老け込んでいた。現職のころはてかてかと油切っていたのだがその頃の面影はなかった。
ー僕はあんなには絶対にならないー
そう思った。だが自信があるわけでなくそれは強がりなのだ。人は未来など予見できるものではない、そのことは承知していた。
ー定めには絶対に流されたくない、それを流れるのだー
妻が二人の子どもを残してあっけなく逝って育ち盛の子ども達を見守り育てながら勤めるという忙しい生活の中でも流されるのではなく流れたと思っていた。子ども達は今ではそれぞれが家庭を持ち外に生活の場を持っていた。その時は寂しいと感じたけれど今では所詮人は一人なのだと諦観していた。
「一人じゃないから、何かあったら言ってよ。何も我慢することはないのだから」
「辞めて、退職金や年金が入ったら、今まで我慢していたことをして楽しんでよ。金なんか残してくれなくていいから」
子ども達はそう言った。
言われなくても残す気はなかった。流れるために必要なものならすべて使う気でいた。

 

 何度も書き直そうとして投げたものが多い。そこには書き手の責任感がなくなっていた。また、この我儘が許される世界で生きているという事の喜びもあった。

なにもしないのではなく、何もしたくないと言うのが、遊び人の精神がストレスに対しては有効かも知れないとおもった。
 これらは秋の夜長に起こった珍事なのかも知れない。
この、秋の空をここでとどめて、その続きは時間を頂いて、老境の真理を書き、年寄りの幸せは何か、身近の事柄から考えて書き始めたい。
この書きものは省三と名を借りた物語とした。30歳を過ぎての人生は自律神経失調症との戦いのなかに物語がありそのなかから生まれた。










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